2021年4月7日(水)

趣味のコラム

還暦になった。


今年、還暦の60歳になった。

100年という長さを1mと置き換えて考えてみると、
60cmの物差しを持ったということになる。
すると1m(100年)がどんなものか、
すこし想像のつく範囲になってきた。

20歳のあの頃、
100年どころか50年も想像つかなかったなあ、
と、振り返るのである。


100年前を、
“大昔のこと” とするか、
“そんな昔のことではない” とするとか
の違いである。

30年前の事などついこの間の事と思っているのだが、
当然のごとく20歳の娘と話はまるっきりかみ合わなないのである。

気が付けば21世紀も20年以上たっているのだが、
「1990年のあの頃は・・・」なんて話を聞くと、
「この前じゃなんか」と思う昨今である。
父親も60歳の頃、こんな感じで私に話しかけていたのかと思うと、
 まあ別に何とも思いませんけど・・・。


人は自分の生まれた前の事はみな同じに、
“昔のこと”とひとくくりにするけいこうにあります。
どういうことかというと、今の時代の人にとって、
聖徳太子も秀吉もペリーもみな同じ
“歴史上の人物”。

どういうことかというと、
私からすると、”明治維新”と”東京オリンピック”は、
物語と現実に、明確に区分されるものですが、
娘からすれば、
どちらもおなじ、物語となるのでしょう。

ペリーだって、
たとえば私の祖父世代に話を聞いたとすると、
「昔、親戚のおじさんが『ペリーが来た時はびっくりした』って話してたわ」
と言い出しかねないの計算となるのである(ちょっとあやしいけど)。

そうするとまんざら黒船来航も、
私の守備範囲内の出来事にもなりかねない、
ということになるのである(ちょっとあやしいけど)。


イメージわくように、年月を長さでなくて、量で置き換えてみる。

人類らしきものが歩きだして50万年。
意志を持って人間らしい歴史が始まったギリシャは5000年前。

このままだとピンとこないけど、
これを50万円のうちの5000円と置き換えてみる。
そうすると、
文明ってのも大したことないことを痛感してくるのである。
ちなみに還暦なんか、さらに最後尾の60円である。
 

人間はずっと、50万円のうちの49万円もの間、
のほほんと暮らしていたんだよなあと考えると、
なんか反省しなきゃいけないことがあるような気がしてきたのである。
(ちなみに、地球誕生は46億円ね)


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