7)6世紀(西暦500~)
もうこの辺りになれば、
大化の改新(645年)の登場人物、
中臣鎌足(かなとみのかまたり)の藤原家や、
蘇我入鹿(そがのいるか)の蘇我家・葛城家などのルーツが登場しています。
現在の皇室の系統である大和王朝の始祖も存在している時代です。
そんな中で、「3世紀」の卑弥呼の邪馬台国と「5世紀」のヤマト王権の関係が、
「4世紀」の中国の文献がないので不明です。
日本においては、8世紀に書かれた俗にいう「記・紀」から紐解くこととなります。
「古事記」は天皇家の自伝、「日本書紀」は大陸大国向け日本の紹介といわれているのですが、
不思議なことにこれらの歴史書には、なぜか卑弥呼らしきものがまったくでてきません。
知らなかったとという可能性もなくはありませんが、
その時の権力者の思惑がどう反映されたのかという方向で、
これまた学者やマニアたちの素材となっています。
「歴史は勝者が作るもの」と言われます。
歴史書とは、過去における国家の善悪混淆の出来事を、
現政権の立ち位置から正義となるように書かれるものです。
日本も江戸→明治→戦後と政権が変わっていくたびに、
かつての事変の名称や解釈が変わっていきました。
ある歴史上の出来事が善行と悪行が180度ひっくり返って教科書に載ることなど、
必然なことでもありました。
現在、進駐軍のプロバガンダが戦後80年経ってだいぶほころびが見え始め、
また少し雲行きがあやしくなってきています。
昭和一桁生まれの人は、歴史解釈の違いとはどういうことかを、
三度四度と実体験する羽目となっています。
8)最後に。
古代史にはまだまだ、
国宝の鉄剣、倭の五王、継体天皇のなぞなど、
話のネタはいくらでも転がっています。
古代の話と宇宙の話は立証が難しいので、
権威や威厳の垣根がいくらか低いところも魅力のひとつです(素人側からのご意見です)。
そもそも、ここまでを振り返ってみて、
ネットでこれだけの面積を眺めてみても、
なんの知識の蓄積にはなりませんでしたということがわかります(笑。
余計なことをしゃべりすぎなのですが、真面目な史実を並べても、
携帯なんかでちゃんと読もうという気はおきないでしょう⤴?(笑
文化だったり自然だったり社会だったり、何かをきっかけに何かの興味を発見したら、
まずは、ネットではなくて本屋さん。そして旅。
