2021年10月4日(月)

趣味のコラム

ドラクエ


“この写真を見て一言”というパロディーをスマホで見ていたら、
生まれたての赤ちゃんが、たまたまガッツポーズをしているように見える写真に、

「やったぜ、今回の家は金持ちだぜ」。

電車の中で思わず笑ってしまった。(油断してた)

人生というのは、生まれ落ちた場所ですでに9割の色付けがなされる。
生まれた時期・場所・出会う人間 等々で、
人生の道のりはほぼ決まってしまう。
織田信長が大正時代に生まれていたとしたら、
イチローが三軒隣の家で生まれていたとしたら、
また違った人生が繰り広げられていたであろう。
大したことにはならなかったとはいわないが、
100年語り継がれる人生でもなかったろうとも思えるのである。


“ドラゴンクエスト”というロールプレーイングゲームがある。
といいながらも、ロールプレーイングゲームは
40年前のスーパーファミコンでドラクエ4しかしたことがないのだが、
このゲームの哲学度には本当に恐れ入る。

・ゲームの封を開けスイッチを入れて物語は始まる。
その景色は、もうなんといっても変えられない。
地球上の人間、全員が例外なく、
生まれ落ちたところの景色というものを持っている。
そして全員が、そこから人生が始まっている。。

・ゲームは、最後まで行けば全員が、
無敵の能力を得てハッピーエンドで終えられる。
しかし現実の世界で力を得るものは、ごく少数である。
この差異ははっきりとある。
“ゲームに逃避”という言葉がでてくる理由である。

・ゲーム内で蓄積した富はゲーム内だけであり、
現実社会では何の役には立たない。
異世界の間でやり取りはできない。
現世で富を蓄積しこの富を置いたままあの世に旅立っていた人たちは、
あっちでどんなことを考えているのだろうか。

・キャラクター同士のイザコザはない。
村人は王様をうらやんだりはしないし、王も村人に過度の要求はしない。
みな自分のキャラクターだけを粛々と演じている。


人生うまくいかないことがあったとしても、
しょせんドラクエのスコアーが伸び悩んだ程度のことでしかない。
その時は、
今の時期と場所が自分の能力にマッチしないだけと割り切って、
そっと現世の風雨を避けながら気楽にやり過ごしていればいいんじゃないのかと、
今になって理解するのである。

あの時あの情熱でドラクエをやった日々を懐かしく思い出す。
ここまで誰と戦ってきたのだろうか。


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