1)英語
90過ぎの母がいる。まだ言っている内容に問題はないのだが、いかんせん発声が弱くて聞きとれない。それでも、状況とか表情、共通認識とかで何とかなっている。
それで気がついたのだが、日常の会話とは、単語10個のうち3個もわかれば何とかなるものなのだということでした。
英語がまるっきりなのだが、今思えば、数少ないあの時あの場面で、耳を澄まして知っている単語を少しでも拾っていけば、その先の道もあったかもしれないとも思ったのでした。
…しかしその前に…、
人間としてのコミュニュケーション能力の問題から、「ハーイ~」とこられた瞬間に、心のシャッターを下ろし防戦態勢に入っていたものでした。
昭和の時代、なぜか英語が主要五科目に組み込まれ、ということは、「英語ができる=勉強ができる」という誉め言葉になりました。
「羊と家具」。人生の中で何回使われるのかというこの言葉を、これは単複同形で三単現のSはつきませんと、当時、全中学の英語の先生は得意になって教えてくれました。
英語教育とは、英語圏内に敬意を表するためにわざとトンチンカンで教えていたのかとか、当時の役人や教師は生活のためにそのオキテを守っていたのかとか、いまだに恨みを込めてぶつぶつ言っています。
そしてそのまま今日まで何でもないのですが、そんな遠い目で嘆いているうちに、携帯の翻訳機能がかなり実用的になっているようです。私のパスポートは切れたまま、ひとり旅は国内で満足しているので関係ありません。
2)国語
やはり勉強に必要なのは、国語力です。
“勉強”というと、いくらかネガティブなイメージが浮かんでしまいますが、知識を得るという広い意味を勉強というとすると、
勉強(知識)は食べ物と同じ、生きている間は常に吸収し続けなければならないものです。
国語力は、勉強の基礎体力です。書物を言葉として読めたとしても、全体の空間認識力が必要です。理解速度も重要です。
学生時代も社会人になっても、選択される立場になるときはあるでしょう。世の中は、その人間の良さを把握するために、時間をかけてゆっくりと選考するような親切はしてくれません。その時も、読解力と速度を持った国語力は、必ず強力な武器となります。
国語力は、大人ですと、やはり自分から本を手に取って読むというところからでしょうか。ちょっと意識することによっていつでも勉強はできます。
子供の国語力は、いまだに研究対象になっているほど、驚異的な上達速度をみせます。物心つく前から、周りの人間がよく話しかけてあげて、話を聞いあげて、本を読んであげて、本を読む機会を与えてあげることが、能力UPの方法です。
