2021年7月9日(金)

読んだ本の話

東日本大震災

1.東日本大地震10年がたって、いろんなことを考えていた。

●嫌悪

コロナ騒動がこれほどになる前の、東京オリンピックの誘致が決まったときから、“そんな金があるのなら、先に福島を直してあげたらどうか”とずっと思っていた。
だから最初から、東京オリンピックという単語は嫌悪の単語でしかない。選手に他意はない。主催者の話である。


●狡猾

昭和の時期、原発の誘致が福島の地に、地域発展のための100%善意から始まった政策だったとしても、である。今までにそれなりの恩恵があったにしても、今現在、困り果てているのは間違いない。
良かれと思ってやったことが逆の結果となってしまったことは仕方のないことだとしても、そのあとの始末というものがある。

今現実には復興を手伝うところか、自分の利益にならないものに興味はないと、政治家という畜生界の本性たるものをあからさまに見せつけられている状況である。
あの先般の大本営発表という狡猾な世論誘導で、大衆は何を学んだのだろうか。今回も“世論誘導を前にする国民”という無力さを、再認識するだけなのだろうか。


●復興

震災記念館みたいなものを作ってみたらどうかと思ってみた。あの電通あたりに仕切らせて、福島観光事業の目玉にして資金を投資したらどうだろうかと浅知恵を絞ってみた。(絞ってもしょうがないけど)

しかし、地元住人の心の傷が癒えぬうちの観光事業というのが、とても残酷なものと気が付いた。
知覧の特攻隊記念館も、終戦直後から当事者同士の心のよりどころみたいなものはあっても、当事者以外に心の中を、いくらか語れるようなものになったのは40年もの歳月がたってからである。
お坊さんの説教に「この悲しみはやがて懐かしみに変わっていきます」というのがあった。「あの時は大変でしたね」と口に出せる 時薬(ときぐすり)の効果があるまで、もう少しの時間を必要とするのでしょう。

2.東日本大地震10年がたって、いろんなことを考えていた。

●災害

うっかりとしていたのだが、関東大震災と戦争による焼け野原というのは、20年しか離れていなかったんだという事実。

二十歳のころの20年という期間は自分の人生のすべてでもあるので、もう永遠に近い感覚だったが、生まれてから60年も経つと、20年という期間は有限でありかつそれほど長くもない期間という感じとなる。

たとえば、30歳の時に震災で家を壊され、50歳になったときに空襲で家を焼け出されたひとがいたとしよう。間違いなくいただろう。
そうなったとき、どうやってモチベーションの維持をしたのだろうか・・・なんて気取った言葉でなく、生きてく気力をどうやって絞り出したのだろうか。


●畏敬

この世代、大正13年当時に30歳 昭和20年に50歳だとすると、明治30年生まれぐらいか。昭和50年代、私が小学生の頃のころにいた80歳ぐらいのおじいちゃんおばあちゃん世代だ。
今さらながら、あの人たちとは、そういう思いをしてきた人たちだったのである。今さらながら畏敬の念というのも白々しいし、小学生のこっちには話してくれなかったからという言い訳もしてみたり。

歳を重ねると、ピントがあってないレンズのように、うすぼんやりと全体像の把握だけは何とかできるというような状態から、だんだんピントが合って細かなところまで見えてくる。
そしてもうひとつ、自分の過ごしてきた時間や体験を重ね合わせることによって、その裏にあるものまで見えたりもするのである。

3.東日本大地震10年がたって、いろんなことを考えていた。

●年号

震災と戦災の間がたった20年というのに気付かなかったのには、大正と昭和という時代の名称が違っていたこともあるかもしれない。
小学生のころ、大正と昭和の境目に立ち会った人間はどんな気持ちだったのだろうかと思ったことがあったが、まさか自分が平成 令和と二度も体験するとは思わなかった。

慶応から明治の元号改正は、長い日本史の中でも歴史的な政権交代でもあったので、昭和と平成の境とは比較にならないだろう。
それでもいつの時代であっても元号が変わった日とて、市井の多くの人たちは、今日からの行き先が変わることもなく、お母さんも朝起きてご飯作って子供起こしてご飯食べさして、と続いていたのだろう。


●分断

昭和4~50年代の私の小学生時代、江戸時代までは昔、明治時代からは今日に続く近代と、はっきりとそう習った。江戸時代までの人は古代の人とそれほど変わらない生活、明治時代からは新幹線へとつながる鉄道を引き始めた文明開化、そんなイメージだった。

あの昭和の時に、江戸時代と明治時代にはっきりと線を引いたのは、まだあの明治維新のクーデター集団の末裔が生きていたからだろう。
元老じいさんの顔を直に見た人もまだいただろうし、あの人たちに世話になったと聞かされて育ったひとたちもたくさんいた。


●歴史

それからさらに50年もたつと、さすがに縁故や恩義は薄ぼやけてくる。すると、“歴史は勝者が作るもの”といわれる意味を具体的に教えてもらえるようになってきたのである。
官軍の持っていた錦の御旗は自分たちで作った模造品だった、明治天皇はクーデター政権が連れてきたすり替えだった、敵総大将の西郷隆盛の銅像が浴衣姿になったわけだとか、そんな話は素人でも読める本でたくさん並んでいる。
これらの本が文学書なのか都市伝説本なのか、素人の私にはわからないが、それでも市井の人々でも“どっちもどっちだね”という立場がとれるという時代になってきたのである。


●真実

ちなみに、世の中の真実 というものはない。
自分にかかわった事柄を自分の都合で判断したもの、
これのみを真実というのである。
当事者以外に、真実を紐解くすべはない。
自分に関すること以外は、すべて巷の噂である。

とりあえず、ちょっと東北へ飲み行ってくる。

目次に戻る